<国旗国歌>都教委の「強制は違憲」東京地裁が判決
この判決に対する反響が予想以上にすさまじい。正直、TB件数3桁クラスの記事なんてほとんど記憶にない。(これを書いている時点で91件に達している)
しかし、どうも根本的に勘違いしている人が少なくないように思える。そういうわけで、以下にこの判決を理解するうえでポイントとなる事項について考察してみた。
・今回の裁判と判決はそもそもどんなものか
今回の裁判は「卒業式での国旗に向かっての起立や国歌斉唱の強制は、思想・良心の自由を侵害している」として、そのような義務はないこと(その根拠である都通達や都教委の指導は無効であること)の確認を求める行政訴訟である。そして、それに対する地裁の判断は「思想・良心の自由の侵害にあたる」と認めるものであった。
したがって「現にそういうルール(通達)があるのだから、それに従うのは当然」という類の反論はそもそも的外れである。なぜなら「現にあるルールが正当か否か」自体がこの訴訟の争点にほかならないからだ。言い換えれば、上記の反論は、訴訟の「争点」が「前提」に摩り替わってしまっているのだ。
・上位法優先原則
今回の判決を理解するうえで必要不可欠なのが「上位の法の規定が優先される」という近代法の原則だ。
近代法では、法は憲法を頂点として、そのすぐ下に分野ごとの基本法、さらに下にその他の法律、そして施行令や通達が存在するピラミッド構造の体系を基本としている。そして、このピラミッドの原則として「下位の法の規定がより上位の法に反する場合、その規定は無効」とされる。
今回の判決は「都通達等が日本国憲法(現代日本の最高法規)の保障する「思想・良心の自由」を侵害する(違憲である)から無効だ」という上位法優先の判断にほからならない。
もちろん、今回の判決が絶対とは言えない。なぜなら、今回の判決は「都通達等が憲法に反しているか否か」に対する一つの見解に過ぎないからだ。ただし、これに対してできる唯一の反論は「都通達等は合憲である」という見解の提示のみである。
・自然法と人定法
この判決に関して、殺人罪の規定などを引き合いに出して反論を展開している人がいるが、そういう人たちは殺人罪と都通達では、その本質に決定的な違いがあることを理解する必要があるだろう。
一般に、殺人罪は「自然法」というものに分類される。自然法というのは、簡単に言えば「本能的にやってはいけないと感じる行為」などが該当するグループだ。
一方、都通達は「人定法」に分類される。人定法は言葉のとおり「人が定めた法」であり、自然法よりも理性寄りの内容が該当する。概ね「社会生活」という枠で生きる場合にのみ必要になるルールだと思えばいいだろう。(厳密には違うと思うが)
したがって、同じ「法」であっても「殺人罪」と「都通達」を同じ土俵で語ることは不適当であると考えられる。
・母国に対する敬意(愛国心)と国旗・国歌に対する敬意
この論点を持ち出す人も少なくない。そういう人たちは、まず以下のことを考えるべきだと思う。
- 起立や斉唱を拒否したり、「そのような義務はない」と考え、主張したというだけで、国旗・国歌に対する敬意がないと言い切れるのか?
- 起立や斉唱をしたというだけで、国旗・国歌に対する敬意があると言い切れるのか?
- 国旗・国歌に対する敬意がないというだけで、愛国心がないと言い切れるのか?
- 起立や斉唱をしたというだけで、愛国心があると言い切れるのか?
- 国の政策を批判したというだけで、愛国心がないと言い切れるのか?
- 国の政策に従順だというだけで、愛国心があると言い切れるのか?
もしも、人間の思想と表現とが上記のように寸分の違いもなく噛み合っているのであれば、他人の考えを理解することは非常に簡単だろう。
しかし実際には、人の考えていることと行動には、ズレもあるし、表現の多様性もある。時には、考えとは矛盾した行動すらとる場合がある。それを、上記のように型にはめて考えるのはおかしいのではないだろうか。
とすれば、そのような「型にはめた考え」に基づいて非国民呼ばわりし「国を出て行け」などというのは、短絡的で偏狭ではないだろうか。
また、一般の会社員と比較して教師たちの言動を批判している人たちがいるが、私から見れば、それらは見当違いなものばかりだ。以下に典型的な批判をピックアップした。
・「今回の教師と同じことをすれば解雇される可能性が高い」
たしかに、解雇される可能性は高いかもしれない。
しかし、そもそも今回のようなことで解雇されるならば、それは「不当解雇」の疑いがあることを忘れてはいけない。もちろん、解雇された側にどの程度の正当性があるのかが問題にはなるが。
・「嫌ならば会社(教師の場合は学校)を辞めれば済む」
たしかに、それも有力な選択肢の一つだと思う。
だが、それだけの理由で教師たちの行動を否定はできないだろう。なぜなら、提訴自体は、不服のあることについて然るべき機関に不服を申し立てただけにすぎないのだから。
もしも、それすらも問題だというのならば、下からの不服を一切受け付けない「上意下達」一辺倒の組織を肯定しているに等しい。
・「国旗の掲揚・国歌斉唱は公務員の職務だから」
たとえ業務命令であろうと、法律違反や違憲である場合は、そのような業務命令は無効だ。業務命令の根拠となるのは、会社の就業規則などの規則(都立の教師ならば教育公務員特例法などの諸法律や服務規程など)と考えられるが、それらは、法体系上は、憲法はもちろん労働関係の諸法律(都立の教師ならば地方公務員法など)より下位の法であり、当然、上位の法に反しているものはすべて無効となる。
もちろん、基本的人権といっても無制限のものではない。法律の例外規定などによって「~権の侵害にはあたらない」ということになっている項目もあるだろう。だが、その例外規定に該当しないと判断された場合や、そもそも例外規定自体が無効と判断された場合は、やはりそれに基づく(とされる)職務命令は無効となる。
いずれにせよ「職務は思想よりも優先される」などという主張は、法律についての無知を自白しているに等しいだろう。
上記の主張に共通して言えることだが、人は、普段自分がとる選択と隔たりがある行動を「よくないこと」と捉えがちだ。しかし、それは先入観にすぎず、その行動が本当に適切であるかとは無関係である。
結論。
心情的には、今回の判決を支持したいところだが、法解釈は難しく、今回の判決を鵜呑みにもできない。が、一応、私見としては「判決を支持」とする。
以上、長文におつきあいいただき、ありがとうございました。